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駒澤大学で最も静かな教場
「坐禅堂」とは

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駒沢キャンパスで「禅」集中

禅研究館4階にある「坐禅堂」について紹介します。

曹洞宗の大本山の永平寺(福井県永平寺町)や總持寺(神奈川県横浜市)などにある修行道場では、坐禅堂(僧堂)は、修行僧が修行生活の中心をなす道場です。一人あたり一畳分のスペース「単」で、修行僧は朝晩の坐禅、食事や睡眠などをしています。

駒澤大学の坐禅堂は教場のため、一人あたりのスペースは単の半畳分とし、堂内全体で142名が坐禅することができます。堂の中央には聖僧様(文殊菩薩)が安置され、基本的には大本山と同じ、本格的な坐禅の道場です。

キャンパスに坐禅堂がある大学は、他にほとんどありません。仏教の教えと禅のこころを建学の理念とする駒澤大学にとって、坐禅堂は大切な場所です。駒澤大学の学生であれば全員が履修する必修科目「仏教と人間」の坐禅実習で、実際に足を踏み入れたことがあるのではないでしょうか。また、選択科目「坐禅」の授業でも、坐禅堂で坐禅を行っています。

また、授業以外に、一般の方向けの日曜講座や毎年12月8日の釈尊成道の日(成道会)にあたって禅宗寺院で行われる集中的な坐禅修行である「臘八摂心(ろうはつせっしん)」にちなんだセミナーも坐禅堂で開催されています。

坐禅は自分自身に向き合うライフワーク

坐禅は、禅宗でもっとも大切な修行であると言われます。

坐禅堂では、日常の喧騒や雑念から離れ、自分自身と丁寧に向き合う時間が流れています。坐蒲(ざふ)の上に足を組み、背筋をまっすぐにして坐り、息を整え、心を落ち着けることで、ふだんは気づかない自分の内面の動きや、微細な感覚に目を向けることができます。坐禅は僧侶による宗教的な儀式ではなく、誰でも日常生活に取り入れることができる心のトレーニングとしての側面も持っています。

また、坐禅は「今、この」自分自身の心と体に集中することで、おのずと不安や迷いから離れ、洞察力が身につき、わだかまりのない発想ができるようになります。多くの人が、坐禅堂の静粛なる環境の中で切々と自分自身に向き合う時間を得ています。

「お釈迦様は菩提樹の下で坐禅を組み、悟りを開いた」とされていることから、坐禅とは一人前の僧侶になるための厳しい修行というイメージがありますが、実際に坐禅していくと、少し違うように感じられるのではないでしょうか。

「坐禅」の担当教員のひとり、仏教学部禅学科の松田陽志教授は、坐禅についてこう話します。

松田教授:
坐禅は僧侶になるための一時的な修行ではなく、自身を振り返りながら、仏教を自分の生き方に反映させていく上での、大切な取り組みです。特別な結果や境地を求めるのではなく、心を落ち着かせて真剣に今の自分自身に向き合い続ける修行です。

駒澤大学の学生は1年次の必修科目「仏教と人間」で年に一度坐禅堂で坐禅を経験します。仏教についての知識や実践の意義を教場で勉強するだけではなく、禅という実践的な仏教の受け取り方の意義を、実際に身をもって経験し実感してもらえたらと思っています。

坐禅堂で気をつけること

坐禅堂で坐禅するには、全員が定められた作法を行うことが必要です。そこで「仏教と人間」での坐禅実習や「坐禅」の授業では、坐禅実習の前に坐禅指導の先生から坐禅堂内での作法について詳しく教わります。

坐禅堂は私語厳禁で、動作の開始や終了などの合図は鐘の音によって行われます。

堂内にはスマートフォンや財布、時計は持ち込めず、また堂外でも静寂な環境を維持するため、音が鳴ったり振動したりする機能も切ってもらいます。特別な服装をする必要はありませんが、短パンや短いスカートは坐禅を組みにくいので不向きです。

そして松田教授は、「坐禅のための準備が大切」と語ります。

松田教授:
前日に夜更かしをしたり、当日の朝食を抜いてしまったりすると、長時間の坐禅に集中できず、具合が悪くなることもあります。前日から体調を整え、坐禅に適した服装を準備し、時間に余裕を持って行動し、心を落ち着けて臨むことが大事です。

坐禅には、堂内での歩き方やふるまいに決まりがあります。また、手や足の組み方にも一つひとつに意味があります。作法の一つひとつを真剣に丁寧にしようとつとめることで、坐禅するモチベーションを高めていくことが大切です。ただし、ケガや身体の状態により作法通りにすることが難しい場合には、椅子坐禅をすることもできるので、無理せずに申し出てもらえたらと思います。

坐禅はみんなでするもの?

なぜ、坐禅堂でみんな一斉に坐禅を行うのでしょうか。
自分自身と向き合う坐禅なら、場所にこだわらずにひとりでもできそうなものですが……?

松田教授:
もちろん坐禅はひとりで行うこともできます。しかし、自宅で坐禅に集中できる環境を整えることは難しいかと思います。

駒澤大学でも、コロナ禍でキャンパスへの入構が制限されていた時期には、オンラインで坐禅の授業を行っていました。しかし、たとえ作法を学んでその通りに坐禅しようとしても、一定の時間、坐禅に集中しようとすることは大変だったと思います。

坐禅堂に集まった全員が、坐禅の作法にのっとり、同じ作法に従って静粛なる時間を保つように丁寧にしようとつとめることで、一人ひとりが真剣に坐禅に集中できるようになります。

道元禅師は「一人ではなく、多くの人が一斉に同じ場所で坐禅するのが望ましい」と説いています。隣り合う人の坐禅している気迫と静粛な堂内の緊張を感じることで、坐禅しようとする個々の志が高まり、安定して落ちついた坐禅を行うことができるようになるのです。そうした坐禅が、特別な境地や成果にとらわれず、ひたすら今、自分の坐禅に徹するという、道元禅師の説く「只管打坐(しかんたざ)」という坐禅の取り組み方につながっていきます。

駒澤大学のアイデンティティを育む場

仏教学部以外の選択科目「坐禅」は、学部・学年にかかわらず多くの学生が受講します。半年間にわたって毎週、坐禅堂で坐禅を行います。

「テストやレポートがない授業だから、ラクに単位取得できるのでは?」と考える人がいるかもしれませんが、坐禅に向けて準備を整え、坐禅する志を自らふるい立たせて作法の通りに坐禅に取り組み続けることが必要なので、その意味からすれば厳しい科目かもしれません。

松田教授:
毎週、決められた時間に余裕をもって坐禅堂に入り、作法を覚えて、静寂の中で坐禅するのは、忙しい現代を生きる学生にとって簡単なことではないかもしれません。それでも、「坐禅」の授業は出席率も高く、回数を重ねるにつれて、学生が作法に従って背筋をまっすぐにして真剣に坐禅している後ろ姿を見ると、坐禅する志が維持されていることがわかります。

「せっかく駒澤大学にいるのだから、卒業までに一度は受講したい」と考える学生も多いようです。90分間、静かな坐禅堂で坐禅に集中することは、多くの学生にとって非日常な体験であり、人間的な成長につながる得難い経験になるのではないかと思います。

駒大生が、外からどう見られているかはわかりませんが、私は、落ち着いた学生が多いように感じています。仏教や禅に根ざした理念に基づく本学のキャンパスに坐禅堂という静かな空間があることが、学生にとって「心を落ちつかせるよりどころ」になっているのではないかと思います。また、禅文化歴史博物館も、同じように静かな場所で、禅の歴史や文化について深く学ぶことができる施設です。ぜひ訪れて、禅の理解を通じて自分の心と向き合う時間を持ってもらえたらと思います。

  • 取材内容は2025年7月時点のものです。
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