ビートルズやシャーロック・ホームズ、ハリー・ポッターなど、イギリスの影響を受けているものはいろいろある。意識することはあまりないかもしれないが、議院内閣制度や立憲君主制など、日本の政治のしくみもイギリスがお手本だ。一度は世界を制覇した小さな島国の歴史を、政治や外交の視点で読み解いているのが君塚直隆先生。中世王侯の時代から史上最長の在位を全うしたエリザベス2世まで、「遠くて近い」イギリスの歴史を研究するおもしろさをうかがった。
私はイギリスの政治・外交史、とくにイギリス国内の議会や政党がどのような発展を遂げてきたのか、そのなかでどのような外交・対外政策を行ってきたのかを調べています。
子供のころから歴史が好きで、豊臣秀吉や徳川家康といった定番の伝記を読むうちに、世界の偉人や政治の歴史にも興味を持つようになりました。なかでも印象に残ったのがイギリスの首相、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)です。第二次世界大戦下のイギリスを率い、戦後はヤルタ会談やポツダム宣言で国際秩序や日本の戦後処理を進めました。彼は人間味にあふれる歴史観を持つ人物で、自伝のほか全6巻の歴史書を著してノーベル文学賞も受賞しています。彼について調べるうちにイギリスの政治に興味が湧き、以来、19世紀以降の政治・外交史を、人物に着目しながら読み解いてきました。
イギリス史のおもしろさのひとつに、そこから世界を俯瞰できることがあります。
19世紀はイギリスが大英帝国へと突き進んだ時代です。15~16世紀にかけてスペインやポルトガルは競って海外へ進出しますが、辺境にあるイギリスはすっかり出遅れて合衆国の北端の領地しか手に入りませんでした。ところが、スペインやポルトガルが失速したころ、イギリスは誰も手を付けていなかったオセアニアに進出し、さらに産業革命で工業化を成し遂げると、海外市場を求めてインドやアジアにも領地を増やします。オランダ・フランスと競合しながら、次第に優位を獲得し、日本の本州ほどの島国が1901年時点で世界の陸地面積の約5分の1を支配する大帝国になったというわけです。その後、第1次世界大戦後にはドイツの植民地や旧オスマン帝国領を委任統治領として獲得して、世界の4分の1を支配します。おかげで田舎言葉だった英語が世界中に広がり、英語ができないとエリートになれないほどメジャーな国際言語となりました。

もうひとつ、イギリス政治史で着目すべきは議会政治です。イギリスは君主を国のトップに据える君主制でありながら、議会の力が非常に大きいのです。17世紀の半ば、チャールズ1世(1600-1649)は議会を無視した強権政治を行い、処刑されます。その後、名誉革命を経て「国王は君臨すれども統治せず」として立憲君主制を法文化しました。フランスは革命によって王制を廃しますが、イギリスは王制はそのままに議会を優先した制度にしたのです。君主に対して議会が非常に強い国政が、国の安定をもたらしました。
そして、日本の議会制度や立憲君主制は西洋にならって明治時代に作られたものです。だから日本が直面する問題の多くは、イギリスの政治史のなかに解決のヒントがあるのです。たとえば、日本の参議院はイギリスの貴族院がモデルです。ただし、世襲で議席を持てるのは最高位の公爵と侯爵だけで伯爵以下は互選とし、内閣が選ぶ識者や功労者を勅撰議員としました。やがて、勅撰議員は日本流に解釈されて高額納税者が名士として選ばれるようになっていきます。さらに戦後は貴族院自体を選挙制による参議院にすげかえたことで衆議院との差別化が図れなくなりました。
そこで改めてイギリスの貴族院を見てみると、やはり本来は世襲制で成人の貴族を貴族院議員にしていました*。しかし、20世紀に入り議員の資質が低下しはじめると、政治以外の分野も含めて実績のある人を1代に限り男爵にして議席を与える「一代貴族」を導入して活性化を図ります。ロイヤル・ナショナル・シアター(イギリスの国立劇場)の創設監督も務めた名優ローレンス・オリヴィエ(1907-1989)も1970年に俳優で初めて一代貴族となりイギリス文化に貢献しました。さまざまな分野の実力者を取り込んで貴族院の力を活性化したのです。
*2026年3月10日に世襲貴族の議員を廃止する法案がイギリス議会で可決され、世襲貴族が自動的に議員を務める数百年前からの伝統が終了。92人残っている世襲貴族議員は、議会会期が終了する2026年5月に退任となる。
ちなみにフランスでは、日本でいう自治体の議員が上院議員を選びますし、ドイツは各州の首相や議員が上院議員を兼ねて専門性を担保しています。日本も議会制度の本質的な意味を考えた制度を取り入れるべきかもしれません。
最近は“王配”の英国史にも取り組んでいます。王配とは女性君主の夫のこと。男性の君主はキング、王妃ならばクイーンと呼びますが、クイーン(女王)の夫はキングではなくプリンス(王配殿下)となりクイーンより格下になるのです。イギリスでは男子継承が優先されており、長らく女性の君主が少なかったのですが、男子がいない場合に女性が王位を継承する例があり、特に16世紀以降、6人の女王が統治しました。彼女たちの統治期間は、歴史の転換点を乗り越え黄金期となっています。ちなみにスペインやポルトガルも女性に継承権がありましたが、男尊女卑の思想からクイーンはキングが補佐するしくみでした。
そして20世紀も終えた現在、ヨーロッパの主要国の8カ国が君主制です。そのうち現在は7カ国が絶対的長子相続制、つまり男女問わず第1子が継承権を持っています。その結果、あと30年もすれば5カ国に女王が誕生し、同時に王配も登場することになります。こうして再び王配に関する問題が各国で起きているのですが、イギリスはもともと絶対君主制ではないため、大臣たちがしっかりしていれば問題ないんですね。
ちなみに、日本は天皇皇后両陛下の格付けは同等ですが、いずれも統治には直接関わらないという位置づけです。そして、皇位継承は男系男子にこだわっています。ヨーロッパはそれをやめたことで君主制が維持できているのです。ヨーロッパで最高の格式を誇る、ハプスブルク家もマリア・テレジア(1717-1780)以降は女系ですし、イギリスも女王を受け入れて伝統を守ってきました。日本はどうするのが良いのか、いろいろと考えさせられます。
オックスフォード大学留学時代に教えを受けたコリン・マシュー先生は、イギリスの19世紀、グラッドストン研究の第一人者で、卒業後もたびたび訪問して指導をいただいた恩師です。
マシュー先生とともに(1997年9月)
私が留学した当時は、中世から近代の史料は貴族の末裔の手元にある場合も少なくありませんでした。
王室関係の史料はウィンザー城(世界最古・最大級の現役王室居城)のラウンド・タワーの最上階にある王室文書館で調べます。19世紀の王族の自筆の手紙まで閲覧できますが、すべて独特の手書き文字なのでほとんど読めません。仕方がないので、そのまま絵のように書き写します。そして、秘書官が丁寧に書いた公式文書の写しなどを見本にして、ヴィクトリア女王の文字の一覧表を作ったり、史実と照らし合わせたりしてコツコツと読み解いていくんです。
イングランド北部ヨークシャーにあるハワード城は、17世紀末に第3代カーライル伯爵チャールズ・ハワード(1669-1738)が、湖や森林が広がる広大な敷地に建てた大邸宅です。その面積は日本でいえば、東京の江東区と同じぐらいあります。ここに一人こもって史料を探したものの、論文に使えたのはたった1通の手紙だけということもありました。
*1853年12月16日、離宮であるオズボーン・ハウスから出された、ランズダウン侯爵にあてたヴィクトリア女王自筆の手紙。現在内閣で提案されている選挙法改正案を巡って内閣が対立し、パーマストン卿が辞任したことを受けて、政権の重鎮であるランズダウン侯爵に辞任しないよう慰留しているもの。
これが現代史になると、史料も印刷物ですしデジタルカメラで撮影もできるので、かなり楽になりました。ただし量は膨大になるので、それを読むのは別の意味でやっぱり大変です。でも、そうやって今はこの世にいない偉人たちと史料を通して向き合うのが好きなんです。ウィンザー城でヴィクトリア女王の日誌と格闘していると、「日本なんて国からわざわざ来たなら助けてやろう」と天から声が聞こえる気がします。まあ、魂が降りてくるかどうかはともかく、場の空気を感じることは大切で、実際にその場に行って手紙や日記を見ると、その人の性格なども見えてくるものです。史学は、現場で実物に触れることが一番です。
私自身、伝記から研究の道に入ったわけですが、イギリス人は個人の評伝が大好きです。大きい書店には評伝のフロアがありますし、ロンドンにある国立の肖像画美術館「National Portrait Gallery」には王族や偉人だけでなく、ビートルズからベッカムまでさまざまな有名人が飾られています。
さらにすごいのは19世紀に作られた『Dictionary of National Biography』というイギリスの歴史上著名な人物をまとめた世界最大の人名辞典です。この新版をコリン・マシュー先生が陣頭指揮をとって編集を進めました。惜しくも編集途中で亡くなられたのですが、イギリスで活躍した外国人や女性の功労者も加筆し、全60巻、5万人以上を収録した『Oxford Dictionary of National Biography; ODNB』が2004年に出版されています。
ちなみに、私は人物の生没年はすぐに覚えます。たとえば、エリザベス1世(1533-1603)は織田信長(1534-1582)と1歳違い。ちょうど日本の戦国時代といった具合に、歴史上の人物のつながりや、他国の情勢と比較することができるんです。
イギリスには魅力的な人物がたくさんいますが、史上最長の在位を残したエリザベス2世(1926-2022)はやはり別格です。彼女は国民と非常に近く、何かあれば厳しく叱られ、いいことがあれば共に喜ばれる存在でした。
2022年9月にエリザベス女王が亡くなられたとき、NHKから葬儀の生中継の解説を依頼されて、急遽、2泊3日でロンドンに行くことになりました。葬儀の前日、街は各地から集まったたくさんの人であふれ、普通の商店の店先にも陛下の写真と喪章がかけられていました。空港の免税店まで喪に服して閉まっているんです。女王はこんなにも国民に愛されていたんだと深い感銘を受けました。結局、歴史をつくるのは「人」なんです。私もずっと人を通してイギリスを見てきたのかもしれません。
私のストレス解消は文章を書くことです。できればあと1冊、8世紀から現代までを俯瞰したイギリスの外交史の学術書を書きたい。体力も落ちてきたので、古代の部分は今まで研究されてきた方の蓄積もお借りして、なんとかまとめられればと思っています。
