村松 哲文 学長
村松哲文学長(仏教学部教授)は今年4月の就任時、「誰からも愛される大学」を目指すというメッセージを発信しました。
学長の目に、いまの駒澤大学はどのように映っているのでしょうか。また駒澤大学はこれからどのような方向に進み、大学生活はどのように変わっていくのでしょう。村松学長に直接訊いてみました。
──学長に就いてからは仏教美術という専門分野だけでなく、全学の教育研究に加え、大学の運営にも目を配ることになったのではないでしょうか。
村松学長:
まるで転職したような気分です(笑)。これまでの日々がオートマ車の運転だったとすれば、学長になって大学全体を見るようになってからは、すべての操作を自分で行うマニュアルの大型トラックに乗り換えた、運転ならそれくらい違うほど毎日が一変しました。しかもまだ若葉マーク(初心者マーク)を付けているのに、猛スピードで駆けぬける毎日。学長就任前とは、使っている脳の部分が違っているのではないかと感じています。仏教学部の教授のときも、禅文化歴史博物館の館長時代も、それぞれの立場で「駒澤大学がこうなったらいい」と考えてはいましたが、学長になって大学や法人全体の課題に携わるようになり、責任をひしひしと感じています。
──「こうなったらいい」の一つとして、学長は駒澤大学の特徴や魅力を学内外に伝えきれていないという課題意識をお持ちですね。
村松学長:
駒澤大学は、仏教の禅宗である曹洞宗の精神を理念として建学された大学です。しかし新入生の中には、入学式の会場である記念講堂に祀られた仏像を見て、初めて自分が仏教系の大学に入学したことを知る学生がいるようです。
また、各分野で優れた研究実績を残している教員がたくさんいることが十分に知られておらず、残念な思いを抱いたこともあります。駅伝をはじめスポーツが強いというだけではなく、教育研究においても魅力にあふれた大学であることを広く発信していきたいと考えています。今年4月には広報機能の強化を図るため「広報戦略室」という部署が新たに設置されましたので、今後は駒澤大学にしかない魅力を、計画的かつ積極的に情報発信していきたいと考えています。
──そうした課題意識からでもあるのでしょうか。駒澤大学が目指す姿を「誰からも愛される大学」と言い表しています。どのように愛されたいとお考えですか。
村松学長:
まず一つは受験生に選ばれ、保護者には自分の子どもを入学させたいと思ってもらえるような大学になること。優れた研究、丁寧な教育をしっかり伝えることで、「あの先生の指導を受けたい」と、受験生が前向きに本学を選ぶようにしたいと考えています。そして在学生には、歴史と実績のある大学で学んでいることを誇りに感じてもらえるようにしたいものです。
また大学は社会教育施設でもあるので、近隣の方々から「近所に駒澤大学があって良かった」と思ってもらえるようになりたいです。例えば駒沢オリンピック公園に散歩に来た方が禅文化歴史博物館に立ち寄ったり、昼どきに学食を利用したりすることが、日常になればいいと思っています。
──「誰からも愛される」ことだけを追求しますと、いわゆるとがった部分が削り取られ、せっかくの特徴を消してしまうことにならないでしょうか。
村松学長:
「誰からも愛される」ことと本学の際立った部分の両立とは、例えるならカレーライス(笑)。ライス(米)は「誰からも愛される存在」で、ルーは言うなれば「本学ならではの特徴」です。ルーには「駅伝」などのようにすでに知られているものもありますが、教育研究や仏教を始めとする本学独自の学び、デジタル環境や学生サポート体制など、美味しいルーを作るためのスパイスがたくさんあります。
誰からも愛されるライスとたくさんのスパイスから作られたルー。共に美味しく味わっていただける大学であることを、受験生や保護者、在学生や保証人、近隣の方や同窓生にもぜひ知ってほしいと思っています。
──先ほど、駒澤大学が仏教の教えに基づく大学であるということを、入学後に知る学生がいると伺いました。では在学生は、仏教系であることを含め大学の特徴や魅力を認識し、学生生活を送っているのでしょうか。
村松学長:
2025年3月まで禅文化歴史博物館の館長を務めていて、意外と学生が博物館に来ないと感じました。博物館学芸員の資格を取っている学生は何度も来館しますが、一般学生の利用率が少ないのは残念です。
博物館は、関東大震災で倒壊した図書館を新たに建て直したもので、1928(昭和3)年に耐震設計された鉄筋鉄骨コンクリート造で当時としては貴重な建物です。大学の歴史や禅と仏教に関する内容を展示しており、駒澤大学の学生は必見です。
さらに2025(令和7)年には国の登録有形文化財(建造物)になりました。国の文化財が大学内にあるということも全学生に知ってもらいたいですね。
大学は、授業がない時でも、博物館や図書館、あるいは学食に来たりして、活用できる場なのです。
──村松学長の学生時代についても教えてください。学長は駒澤大学の文学部歴史学科を卒業後、早稲田大学大学院に進み、仏教美術を専門とする研究者の道を歩まれています。駒澤大学ではどのような学生生活を送っていましたか。
村松学長:
学生時代を振り返り思い出すのは、中国語研究会でのサークル活動とアルバイトです。ただ、授業に必ず出席することを自分に課していましたので、卒業までの4年間で体調を崩した1日しか休んでいません。
──当時から仏教美術に関心があったのですか。
村松学長:
歴史の勉強の中心は文献講読ですが、歴史的な宗教遺物や美術品など形あるものをプラスして学ぶうちに、歴史解釈が立体的になっていったのです。文字でわからない部分を形で補ったり、形の理解を文字で深めたりすることが、歴史学として面白い手法になるのではないかと考え、仏教美術をテーマに仏像や仏教絵画に現れた各時代の歴史や文化に焦点を当てるようになりました。
──卒業論文を作成するために、中国まで足を運んだそうですね。
村松学長:
卒業論文は、山西省の武周山(ぶしゅうざん)にあり、いまは世界遺産に登録されている雲岡石窟(うんこうせっくつ)について書こうと思い、実物を見なければ書けないだろうと友人を誘って現地に行きました。実際に、資料で見るのと実物を目の当たりにするのとではまったく違い、実物を見ることや対面することの大切さを確認しました。
──実物を見ることの大切さは、仏教美術の教育で重視していることのようですが、その原点は学生時代にあったのですね。
村松学長:
そうですね。学生時代の経験は今に生きていると思います。実物と対面することは、「誰からも愛される大学」になるためにも大切です。
「誰からも愛される大学」は、仏教でいう「縁起」をかみ砕いて言い表したものです。「縁起」とは、つながりのこと。人は一人では生きていけません。学生なら家族はもちろん、大学の友人や教職員にサポートされながら、日々を送ることができています。本学がこの地に存続しているのも、地域住民の皆さまの理解と協力があってのこと。そうした身近だけれども忘れがちなつながりがあってこそ、自分がいることに目を向けてほしいと願っています。
いま「つながり」といいますと、SNSでつながっているのが何人という話になり、そこで満足してしまいがちです。しかし学生には、実物と対面でつながることの価値や意義を理解してほしい。対面でつながるからこそ、相手に共感する力も強くなると思いますし、そうして他者を思う気持ちを育ててほしいのです。
大学は学問をするところです。しかしそれだけではなく、人間形成というという大切な役割も担っています。その人間形成と心の成長のために、歴史と文化を積み重ねた仏教という確かな礎があるのが駒澤大学です。だから授業がない日も、キャンパスに来たくなるような大学にしたいと思っており、そんな学生が集える居場所作りにも力を注ぎたいと考えています。